かぶってなんだろう?たのしい投資ゲームで体験
ー 中学生になると、社会公民の教科書を通じて株式投資を学びます
そこで第2回は株を売買する「市場」がある証券取引所編。国内最大の証券取引所・東京証券取引所(東証)を訪ね、株取引の歴史を学んだり、株取引の現場を見学してきました。
※本記事は2017年12月4日に公開したものです。
東証の見学施設「東証アローズ」に到着
ゲーム感覚!株式投資体験をやってみた
手のサインで株を取引していたの!?
株券ってみたことある?株の歴史を見てみよう
どうだったかな?見学後に絵日記を描いてもらいました
そうくん:ママがもっているスマートフォンより大きいやつで、株を買ったり売ったりしたんだよ。9万円くらいもうかった!
ママ:それはすごいね。そうくん才能あるかも。きっとパパが大よろこびするわ
そうくん:でも株ってなんなの?
ママ:会社が工場を建てたり、商品を作るための材料を買ったりするためのお金を集めるために発行するものよ。お金を出した証明として株(株式)をもらうの
そうくん:どうして株の値段が変わるの?
ママ:そうくんはドラゴンガスを買ったでしょう。ドラゴンガスの株を買いたい人が多ければ高くなるし、少なければ安くなるわけ
そうくん:それならぼくが株を買ったときの絵を描くね
東京証券取引所の歴史
東京証券取引所は「兜町」(東京都中央区日本橋兜町)にあります。兜町は米国の「ウォール街」や英国の「シティ」と同じように、株取引の中心地の意味で使われます。
東京証券取引所は1878(明治11)年に、実業界の実力者だった渋沢栄一などにより「東京株式取引所」として誕生しました。明治中期には多くの取引所が設立され、1897(明治30)年には137カ所を数えましたが、不健全な取引が横行したため、取引所の整理と健全化が図られ、6年後には59カ所に減りました。
日露戦争が終わると、株式ブームとなり鉄道株や紡績株、工業株などが買われました。東京株式取引所株(東株)も人気株となりました。
1923(大正12)年の関東大震災で東京株式取引所の建物も全焼。しかし1カ月後には取引が再開されました。その後、1927(昭和2)年に市場館、1931(昭和6)年に本館ドームが完成。しかし第2次世界大戦により、株の取引ができなくなりました。
取引所の再開は1949(昭和24)年のこと。会員組織による取引所が東京、大阪、名古屋に設立されました。戦後の高度成長によって株取引が活発になり、株価も上昇し、株式売買システムの導入なども行われ、株取引の近代化が図られました。
1988(昭和63)年に現在の建物である新本館が完成。1999(平成11年)4月30日に株券売買立会場が閉場し、その跡地に東証アローズが開設されました。
そして2013(平成25)年1月、東京証券取引所は大阪証券取引所と経営統合をして日本取引所グループ(JPX)が誕生しました。
◎東証アローズの見学まとめ
東証アローズは見学時間内にいつでも自由に見学することができます。株取引はすべてコンピューター売買のため、取引の様子を直接目で見ることはできませんが、マーケットセンターのチッカーの回転速度(8段階)によって株取引の活発さを肌で感じることができます。また取引所の社員が売買注文を監視することで、公正な株取引が保たれている様子を見ることができます。マーケットセンターにはマスコミ各社のブースがあるため、運が良ければ株式市場の様子をレポートしている様子を見ることができるかもしれません。
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