老後2,000万円不足の報道を機に、資産形成や金融教育への関心が高まりましたが、折しも、今年度の「年次経済財政報告(経済財政白書)」では、労働市場の多様化とその課題が論じられました。高齢者を雇用する企業側の意見を見ると、年金不足を「働いて補う」のも楽観する訳にはいかないようです。

高齢者を雇用する企業の目線はシビア

「老後2,000万円問題!みんな準備してる?:楽天DI 2019年7月」を見ると、金融・投資教育や資産形成の重要性についてのコメントのほか、

・女性が社会進出して働くようになったのと同じように、60代70代80代が働くようになると思う。(20代男性)
・元気な人は働いて、得たお金を元気に使う 日本はお金をぐるぐるさせないとだめ(40代男性)

など、年金不足を働いて補うことに着目するコメントが見受けられます。

 7月に公表された今年度の 「年次経済財政報告」 (以下、経済財政白書)でも、60歳を超えて働くことを希望している方が多いことが示されています。

出所:内閣府「年次経済財政報告書」(令和元年度)p.145より転載

 60~64歳では、66~70歳まで働きたい人の割合は約35%、70歳を超えて働きたい人の割合も約15%と高い数字です。若い世代よりも既に60歳を超えている方ほど、高齢になるまで働く意欲が強いですが、老後2,000万円不足が話題になる前の調査なので、改めて調査したら、若い世代で高齢になっても働きたいと回答する割合は増えそうです(もっとも、働きたいというよりも働かざるをえないというのが本音かもしれませんが……)。

長く働くのはカンタンじゃない現実。求められるスキルと健康

 歳を取っても働きたい人が多い一方、高齢者を雇う企業側の目線は甘くはありません。

 経済財政白書で資料に用いている内閣府「多様化する働き手に関する企業の意識調査」(2019年2月実施。 「企業における多様な人材の活躍」 に掲載)を見ると、高齢層(55歳~)の人手不足感は適正と回答した企業が6割を超えています。不足・やや不足している企業よりも、過剰・やや過剰と回答している企業が多く、企業は高齢層を持て余し気味のようです。

出所:内閣府「多様化する働き手に関する企業の意識調査」より筆者作成

 人手不足が叫ばれて久しいですが、高齢層に限ってみれば、引く手あまたという訳にはいきません。では、企業はどのような高齢者なら雇いたいのでしょうか?

 同調査では、65歳以降も雇用したい資質を持つ者や雇用条件についても質問しています。変化の激しい時代を反映しているのか、幅広い人脈やこれまでの高い業績といった過去の栄光への評価は低く、今後、会社に利益をもたらしてくれるであろう、「高い専門的な技術を保有している」ことへの評価が最も高くなっています。

 高い専門的な技術に次いで、「健康上支障がない」、「働く意思・意欲が高い」が上位です。日本は労働者の解雇が容易ではありませんし、労災が発生すると企業の評判に関わります。労務管理上の問題や職場の士気を懸念している面もあるでしょう。高齢層を雇う企業からは、元気に意欲的に働く姿が求められています。高い専門的な技術は現役時代の所得格差の一因ですが、高齢層では健康格差が所得格差に影響する部分も大きくなります。

出所:内閣府「多様化する働き手に関する企業の意識調査」より筆者作成

睡眠不足で“大損”している日本人。経済損失は年15兆円!?

 健康と言っても様々な切り口がありますが、国際比較でも、そしておそらく、多くの方の実感からしても、日本人の睡眠不足は深刻なレベルです。世界的に有名なランド研究所が2016年に発表した ”Why sleep matters — the economic costs of insufficient sleep A cross-country comparative analysis” (なぜ睡眠は重要か 睡眠不足による経済損失の国際比較)では、睡眠不足による、「死亡率上昇がもたらす労働人口の減少」、「パフォーマンス悪化による経営効率低下」(含む、睡眠不足に起因する病気休業)、「若年期の学業不振・能力開発への悪影響」がもたらすコストを推計しています。

 あくまでも推計値で幅はありますが、日本は金額にして、879~1,386億ドル(1ドル110円換算で約9兆6,690億~約15兆2,460億円)、GDP(国内総生産)の1.86~2.92%が1年間(!)で失われており、GDP比で見ると、米国、英国、ドイツ、カナダと比べて損失の割合が最も大きくなっています(2015年)。

 他の数字と比較すると、国の一般会計予算が約100兆円、消費税5%時の税収が約10兆円、2018年度のソフトバンクグループの連結売上が9兆6,022億円、ホンダの連結売上が15兆8,886億円ですから、睡眠不足による経済損失がどれだけ大きいか分かります。

出所:RAND Corporation ”Why sleep matters”より筆者作成

 睡眠不足は各国の文化が影響している可能性があり、農耕民族・儒教文化圏の日本や韓国の睡眠時間が短いことが知られています。また、労働法制の影響もあり、勤務間インターバルを採用しているEU(欧州連合)諸国では出勤まで11時間以上の休息時間を設けることが法律で義務付けられています。

 日本もこの4月から勤務間インターバルが導入されましたが、あくまでも事業主の努力義務のため、会社ごとの取り組みに差があるのが現状です。

金融教育もなければ睡眠教育もない日本。睡眠負債、どう返す?

 筆者の本業はエコノミストですが、副業で睡眠健康指導士(一般社団法人 日本睡眠教育機構の認定資格)として活動しており、セミナーや相談を受けることもあれば、地方自治体の健康観光や健康長寿プロジェクトのレポート作成に関わることもあります。

 発信する側だけではなく、研修や意見交換を通じて、臨床医や研究者などの専門家から話を伺う機会もありますが、多くの方が、“睡眠教育の不足”を指摘されています。欧米では、医療系だけではなく教育学の課程でも睡眠について学ぶ一方、日本では、教師はおろか看護師や保健師でも十分な睡眠教育を受ける機会がないことを危惧され、教育内容の改善に向けて活動されている大学教授もいます。

 近年、「睡眠負債」が脚光を浴びていますが、1990年代後半には研究が盛んに行われていたそうです。睡眠負債の注目を受けて、“睡眠負債をどう返すか”、あるいは極端な場合だと、“睡眠負債を抱えていてもパフォーマンスを発揮する”ことを謳ったビジネスがありますが、そもそもは、「“睡眠負債は気づきにくい”、“睡眠負債が蓄積すると様々な疾患のリスクが高まる”、だからこそ、“日々の生活で睡眠負債を抱えないようにする”が重要なメッセージだったのに、曲解している人がいる」と苦言を呈される医師もいます。

 このような現象は、老後2,000万円不足の報道以降、SNSなどで怪しげな金融商品や投資勧誘の広告が増えたことと似ているかもしれません。まれに投資の世界でも睡眠の世界でも、常識や常道では説明できない方がいることは事実ですが、そうした方法を真似るのはリスクが高いと考えた方が無難です。

 それにしても、金融・投資も睡眠も自分で学ばねばならず、かつ、企業からは高い専門的な技術を求められるという、本当に大変な時代になりました。

健康な睡眠のための12カ条とは?

 睡眠については一般向けの良書も増えていますが、無料で読める資料では、厚生労働省 「健康づくりのための睡眠指針2014」 が網羅的で、下記の睡眠12箇条について具体的な解説が載っています。まだまだ残暑が厳しいですが、風邪や夏バテも睡眠不足が一因と考えられますので、思い当たる方はご注意ください。

【参考】
健康づくりのための睡眠指針2014 ~睡眠12箇条~
1.良い睡眠で、からだもこころも健康に。
2.適度な運動、しっかり朝食、ねむりとめざめのメリハリを。
3.良い睡眠は、生活習慣病予防につながります。
4.睡眠による休養感は、こころの健康に重要です。
5.年齢や季節に応じて、ひるまの眠気で困らない程度の睡眠を。
6.良い睡眠のためには、環境づくりも重要です。
7.若年世代は夜更かし避けて、体内時計のリズムを保つ。
8.勤労世代の疲労回復・能率アップに、毎日十分な睡眠を。
9.熟年世代は朝晩メリハリ、ひるまに適度な運動で良い睡眠。
10.眠くなってから寝床に入り、起きる時刻は遅らせない。
11.いつもと違う睡眠には、要注意。
12.眠れない、その苦しみをかかえずに、専門家に相談を。