1991 (平成3)年6月17 日

南アフリカ共和国議会で人口登録法廃止法案が可決

 

  1991(平成3)年6月17日、南アフリカ共和国で人口登録法の廃止法案が可決され、これによってアパルトヘイトが終結しました。

 人口登録法とは、南アフリカ連邦の法律で、同国国民を人種によって登録し分類することを義務付ける法で、雑婚禁止法(異人種間の婚姻の禁止)、背徳法(異人種間の恋愛禁止)とともにアパルトヘイトを支えた法律です。

 アパルトヘイトとは「分離」を意味しますが、特に南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人や黄色人種)間の人種隔離政策のことを指します。

 同国の人種隔離政策は、1910年の国家成立以前から存在し、1948年には法制として確立されました。非白人は参政権がなく、居住地も限定され、施設利用も制限されるなど、さまざまな制約を定めた法律でした。

 アパルトヘイトはもともと裕福であったイギリス系住民に対して、貧困層であったオランダ系白人の入植者を保護する目的で始められました。その貧困の敵意が、黒人住民に向けられたのです。

 困難の中、若くして反アパルトヘイト運動を行ったのがネルソン・マンデラ氏です。1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受け、27年間に及ぶ獄中生活を送りました。その後、1990年に釈放され、翌1991年にアフリカ民族会議の議長に就任すると、人口登録法の廃止活動を再開。白人政党である国民党が、ついに人口登録法を廃止しました。

 マンデラ氏は、1994年、南アフリカ初の全人種参加選挙を経て大統領に就任し、これをもってアパルトヘイトは完全に終結しました。マンデラ氏はノーベル平和賞ほか、数々の賞を受賞しています。

1991年6月17 日の日経平均株価終値は

24,943円09銭

ライター: FIX JAPAN 前沢ともあき