1999(平成11)年3月24日

コソボ交渉決裂でNATO軍がユーゴスラビア空爆

 

 1999(平成11)年3月24日、NATO軍がコソボ紛争において、ユーゴスラビアを空爆しました。

 コソボ紛争とは、バルカン半島南部のコソボ地方で独立を求めるアルバニア人に対して、ユーゴスラビア軍およびセルビア人との間で起きた武力衝突のことを言います。

 同地はイスラム教を信仰するアルバニア人と、キリスト教を信仰するセルビア人との根深い反目がオスマントルコ時代から続いていましたが、コソボ地区のアルバニア人自治が認められている間は大きな問題は起きていませんでした。

 紛争は、1998年にセルビアのスロボダン・ミロシェヴィッチ共和国幹部会議長(大統領に相当)が、突然コソボの自治権を剥奪したことにより勃発します。

 アルバニア人は100万人を超える難民を出し、またセルビア人による民族浄化などの残虐行為を阻止するとして、NATO軍(北大西洋条約機構に基づく、米国を中心とした軍事同盟軍)による武力介入が行われた結果、コソボ紛争は同年6月に終結。コソボは独立を果たしますが、今日なお民族間の緊張状態は続いています。

 

1999年3月24日の日経平均株価終値は

15,515円47 銭

ライター FIX JAPAN 前沢ともあき