1949(昭和24)年3月19日

定期観光バス「はとバス」運行開始

 1949(昭和24)年3月19日、上野駅正面口の東京遊覧バス乗り場から、定期観光バス「はとバス」第一号が発車しました。

 戦後、焼け野原となった日本で、観光産業の復興に尽力したのが、はとバスの前身、新日本観光株式会社、山本龍男氏です。山本氏は東京地下鉄道、東京都交通局などの交通産業出身。資金調達、観光業の免許申請、観光用車両の確保など、あらゆる人脈を使って奔走し、中古車両6台と、観光業の営業権を入手。しかし、すべてにおいて余裕がなかった日本では、燃料の確保も不十分で、入手した中古車両を走らせることすらできない状態でした。

 整備士たちは、ガソリンエンジンのバスを、プロパンガスや松の根からとった松根油で走れるように改造。東京都交通局払い下げの廃油などを利用し、観光バスを走らせることに成功しました。

 定期観光バスは、上野を出発し、半年で都内を一巡する「都内半日Aコース」。当日、上野駅正面口のバス乗り場には、多くの客が集まりました。定員35人乗りのガソリンバス「富士号」は満員となり、無事出発しました。

 山本氏が観光産業復興に意欲を燃やしたのは、観光業=平和の象徴と考えたからです。山本氏が選んだトレードマークは、平和のシンボルである「鳩」。はとバス第一号車は、まさに平和に向けての「出発進行!」となりました。

 

ライター:FIXJAPAN 前沢ともあき