1896(明治29)年2月29日

辰野金吾が設計した日本銀行本店が竣工

 1896(明治29)年2月29日、東京都中央区日本橋本石町2丁目1番1号に、日本銀行本店が竣工されました。ベルギー国立銀行を参考にして設計されたと言われており、竣工後、3月22日に落成式が実施されました。

 設計は、日本銀行京都支店(現・京都文化博物館別館/重要文化財)、大阪府堺市の浜寺公園駅(登録有形文化財)、大阪市中央公会堂(中之島公会堂/重要文化財)など、日本近代設計の実績豊富な辰野金吾氏。辰野氏の設計は、その頑丈さから「辰野堅固」と称されており、日本銀行本店も、1891(明治24)年に発生した濃尾地震の教訓から、耐震性を重視して設計されました。当初は総石造りとする予定でしたが、耐震対策として、まずは煉瓦を積み上げ、その外装に薄い安山岩を貼ることで建物部分を軽量化するよう設計されています。

 建設当初、その時代としてはモダンな、エレベーター、水洗便所などが取り入れられ、時代の最先端を行く建造物として話題になりました。しかし、防火対策のスチールシャッターなども外国の最新設備を取り入れたため工費がかさみ、さらに工期中に物価が上昇するなどの要因が重なり、総工費は当初予算の80万円を4割も上回る112万円にも上り、こちらも話題となりました。

 正面玄関入口には、2頭のライオンが千両箱を踏みしめて立っている、金融機関らしいシンボルマークがあしらわれた青銅製の紋章があり、旧館の中にも同様の装飾が残っています。

 1923(大正12)年に起きた関東大震災では、この建物は崩れもなく堅固でしたが、近隣の火災による延焼のため、シンボルマークであった丸い屋根は消失。現在見られる丸屋根はその後、復元されたものとなっています。

 1974年2月5日に国の重要文化財に指定され、さらに、東京の建築遺産50選に指定されました。事前予約が必要ですが、重要文化財に指定されている本館の外観、昭和初期に竣工した本店旧館内部の一部、新館(1階営業場)などの一部は一般見学公開されています。また、日本銀行のウェブサイトで「バーチャル見学ツアー」を見ることができます。

伊藤博文が印刷されていた時代の旧千円札の裏面に、日本銀行本店が印刷されています。