北朝鮮に油を注ぐトランプ大統領

 「8月のお盆の週に有事が発生か」と思わせるほど、朝鮮半島情勢が緊迫化しています。米領グアム島沖を標的に、中距離弾道ミサイルを4発同時発射する計画を北朝鮮が公表したとき、ドル円は一時、108円台に突っ込み、このまま108円に向けて円高が進むかと思われました。

 しかしこれに対し、ティラーソン米国務長官とマティス国防長官が、13日(日)付ウオール・ストリートジャーナル(電子版)に連名で寄稿し、軍事的なオプションを準備しているが、軍事的な解決を目指しておらず、経済制裁や外交など「平和的圧力」行使の考えを示したことから、北朝鮮リスクが後退したとみられ、110円台に戻しています。

 一方、北朝鮮側も米国の出方をもう少し見守るとして、強硬姿勢をややトーンダウンしたことも背景にありますが、両国はこのまま様子見を続けるのでしょうか。しかし、21日は米韓合同軍事演習、25日には北朝鮮の先軍節と記念日や行事が控えていることから、まだまだ警戒感を解くわけにはいかないようです。

 そもそもトランプ大統領が北朝鮮に「炎と怒りに直面することになる」と警告したことが、両国の軍事的緊張をより高めたとの見方が出ています。ニューヨークタイムズは「(炎と怒りに直面の発言は)その場の思いつきで、ティラーソン国務長官やマティス国防長官は事前に知らなかった」と批判しています。国務長官と国防長官は、トランプ大統領の暴走発言の火消しのために、外交と軍事の責任者の見解として米紙に寄稿したのかもしれません。

 米メディアだけでなく米議会からもトランプ大統領の発言を懸念する意見が強まっていますが、米議会が大統領の武力行使に歯止めをかけることはできるのでしょうか。

 米国憲法では、大統領が最高司令官として米軍を指揮・統帥する一方、議会が戦争を宣言する権限を有しています。1973年に成立した「戦争権限法」によって、原則として議会の宣戦布告や武力行使容認決議を事前に得ることが必要になりましたが、連邦議会の戦争宣言がないまま大統領が軍を投入した場合、48時間以内に議会に報告する義務があり、議会の承認が得られない場合は60日以内に軍を撤退させなければなりません。逆にいえば、60日以内の短期決戦は大統領の判断で武力行使ができるということになります。どうやら米議会が大統領の武力行使の決断に完全に歯止めをかけるのは難しいようです。

 直近では、2017年4月に化学兵器を使用したとして、議会の事前承認なしにシリアにミサイル攻撃をしました。中国の習近平氏との晩餐会のときに攻撃報告を受けていた様子は記憶に新しいでしょう。このシリア攻撃を含め、この30年弱の米国の軍事行動6回のうち、議会の承認なしで武力行使したのは下表の通り3回あります。こうなると議会承認なしの武力行使は珍しいことではないかもしれません。

 

戦争・攻撃名 背 景 議会の承認
1991年 湾岸戦争 米軍を中心とした多国籍軍がクウェートに侵攻したイラク軍を攻撃
1999年 ユーゴ空爆 NATO(北大西洋条約機構)がユーゴスラビア軍事施設を空爆 ×
2001年 アフガニスタン戦争 9・11同時テロをきっかけにした対テロ戦争
2003年 イラク戦争 大量破壊兵器保有を理由に英国とともにフセイン政権を攻撃
2011年 リビア空爆 カダフィ政権に対して、英米仏を中心とする多国籍軍が軍事施設を空爆 ×
2017年4月 シリアミサイル攻撃 市民に対して化学兵器を使用したとしてアサド政権に攻撃 ×

 

「有事の円買い」はなぜ起こるか

 北朝鮮リスクの高まりによって、円が買われる、すなわち「有事の円買い」となりましたが、なぜ円高になったのでしょうか。「有事」とは、戦争や政治の不安定、金融パニックや自然災害などの天災が起こった状況のこと。昔は「有事のドル買い」と言われていましたが、2001年以降は「有事の円買い」が見られるようになり、最近では条件反射のように起こっています。

 背景として考えられるのは、

(1)2001年の米国9・11同時多発テロや2008年のリーマン・ショックによって、ドルの信認度が低下

(2)日本が地理的に欧米や中東と離れていたことやリーマン・ショックの影響が欧米よりも軽微だったことから、円が安全資産として見直された

(3)金利の低い円を調達し、高い金利の国の債券や通貨に投資する円キャリー取引が活発になったことから、円売りポジションが積み上がりやすくなり、「有事」の際には、この円売りポジションが巻き戻されることによって円高になる

(4)世界一の対外純資産(2015年末339兆円、政府、個人が海外に持つ資産から負債を引いた残高)を保有していることから、海外情勢や金融市場が動揺し、不透明になったときに日本国内に資産を戻す外貨売り・円買いの動きが起こる(レパトリエーション:資金の国内回帰)と海外投資家を中心に連想されやすくなった

などが考えられます。(3)と(4)は円売りポジションの巻き戻しという点では同じですが、(3)は海外勢などの短期取引が中心であり、(4)は日本勢の中長期取引と考えればわかりやすいかもしれません。したがって、(3)の取引は反応が早いことが特徴です。

 今回の円高は、円キャリー取引によって積み上がった円売りポジションが、北朝鮮リスクの高まりによってリスクが取れなくなり、あるいは取るリスクを縮小させたことから円売りポジションを縮める動き、すなわち円を買い戻す動きによって円高になったことが主因のようです。つまり(3)の動きです。週末に米朝の緊迫が一服すると、連休明けには円売りが再開しているようです。円キャリー取引が根強いことは、シカゴのIMM取引(円の先物取引)の円ポジションが少し縮まったとはいえ、いまだ円ショートポジションが続いていることが物語っています。

 レパトリエーションの代表例としては、2011年の東日本大震災のときに見られました。地震直後は一瞬円安となりましたが、その後、海外勢を中心に、日本が復興の原資として海外資産を日本国内に引き戻すとの思惑から76円台まで円高に動きました。しかし、実際には大きなレパトリエーションは見られず、思惑先行の動きだったようです。

同じ北朝鮮リスクでも、「有事の円売り」になる?

 11年前の2006年10月11日付の日経新聞の見出しは、「北朝鮮リスクで円売り」「金、有事の買い」となっています。北朝鮮の核実験で「有事の円売り」が強まったという内容です。この時点では、北朝鮮リスクは「円売り」材料となっていたようです。

 はたして北朝鮮リスクは「有事の円買い」なのか、「有事の円売り」なのかどちらなのでしょうか。

 

 このように考えるとわかりやすいかもしれません。
――リスクが発生したときに、状況が不透明な第1段階と、リスクが顕在化した第2段階に分けて考えてみます。リスクが発生しそうだが、まだ先行きがわからない不透明な状況では、マーケットで取っているリスクを縮小しようとする動きが出て、円の場合、「有事の円買い」となりやすい。
そして、そのリスクが進展し顕在化した第2段階では、どの国の経済や市場に影響するかを判断して投資行動がみられる。もし日本に悪影響が出ると判断されれば、資金は日本から海外に流出し、円安となり、海外にある資産も日本に戻そうとはしないことが想定される――
「有事の円売り」の事態です。

 このままトランプ大統領や北朝鮮側の発言が飛び交うだけなら、強硬発言が出れば円高に、逆にトーンが弱まれば円安にと、「有事の円買い」シナリオを繰り返すだけなのかもしれません。

 しかし、武力衝突などは想定したくありませんが、北朝鮮リスクは「有事の円買い」シナリオ一辺倒だけでなく、「有事の円売り」もシナリオとして頭の片隅に置いておく必要があります。