投資を始めて4年で資産を2億4,000万円まで増やすも、大暴落に見舞われ、一気に資産は9,000万円に。めげずに奮起した1年半後、資産10億円の大台に乗せるが、今度はライブドアショックで5億円失う──。そんな山あり谷ありの投資人生を送ってきたのが、人気ブログ「専業投資家DAIBOUCHOUの軌跡」を運営するDAIBOUCHOU(だいぼうちょう)さん。2004年に勤めていた会社を退職し、現在は専業投資家として活躍するDAIBOUCHOUさんのインタビューを3回にわたってお届けします。

 

不人気業種にこそ成長株が眠っている

──昨年7月に出版された『DAIBOUCHOU式 新・サイクル投資法』を読ませていただきました。資産10億円に到達しながら翌月には半分に減らすとか、いや、何というか、アップダウンが凄まじすぎます(笑)。

 そうですね。でも、長く株をやっている人なら誰しも浮き沈みがあると思いますよ。ずっと上昇曲線を描き続けるなんて絶対に無理ですし。

──でも、DAIBOUCHOUさんの場合は、勝ちにせよ負けにせよ、とにかく単位が大きい。普通の人よりマルの数が2つ3つ多い(笑)。

 それは1つには「信用」をやっていたからだと思います。僕は割安成長株の中長期投資を得意としているのですが、投資を始めて3年目に信用取引を始めました。信用取引というのは、証券会社から借金して取引するわけですから、当然リスクは大きくなります。でも、うまくいけば現物取引よりはるかに大きなパフォーマンスを上げることができます。信用をやっていなかったら絶対に10億円なんて無理だったでしょうね。

──トウシルの読者も興味があると思うので、信用取引については後ほど詳しく聞かせてください。その前に、まずは投資を始めた経緯を教えてください。

 初めて株を買ったのは27歳のときです。僕は新卒でコンピュータ関連の会社に就職したのですが、自宅暮らしだったこともあり、その頃400万円くらい貯金がありました。それで、銀行に寝かせておくのはもったいないなと思い、最初にまず投資信託を購入したんです。でも、1年経ってもぜんぜん増えない。そこで個別株に挑戦することにしました。

──いきなりどこかの株を買われた?

 いえ。さすがに個別株となると、ある程度は知識がないと無謀だろうと思いまして、まずは勉強から始めました。投資の神様といわれるウォーレン・バフェットをはじめ、フィリップ・フィッシャーやピーター・リンチなどいろんな人の本を読みました。

──初めて買われた銘柄を覚えていますか。

 はい、トヨタカローラ岐阜です。

──地方企業ですね。最初に購入する株としてはちょっと意外な感じもしますが。

2001年3月発売  ダイヤモンド社 1,944円(税込)  送料無料 「誰も関心を示さないような不人気業種に着目しなさい」という教えがDAIBOUCHOUさんの背中を押した。

 僕が感銘を受けた本の1つに『ピーター・リンチの株で勝つ』があるのですが、彼はこのなかで「誰も関心を示さないような不人気業種に着目しなさい」と言っています。その時代の花形業種の銘柄は、みんなが欲しがるので、どうしても割高になる。それに対して不人気な銘柄は、本来の実力に比べて割安だし、成長株が眠っている場合もあると。それで会社四季報などでPERやPBRが低い銘柄を探し、トヨタカローラ岐阜に行き着いたんです。

──ほかに当時買った銘柄はありますか。

 いくつか割安株を買いましたけど、よく覚えているのはパチンコ・パチスロメーカーのサミー(現セガサミーホールディングス)株です。立て続けにヒット作を出し、業績が上り調子だったのですが、人気業種とはいえないこともあり、あまり株価は上がっていなかったんです。PERやPBRも低かった。それで狙い目だと思って買ったら、その後ぐんぐん上昇しました。

──お話を聞くと最初から好調だったようですね。

 はい。トヨタカローラ岐阜も、大きな儲けにはなりませんでしたが、損はしませんでしたし。

──きちんと勉強した甲斐があった?

 まあ、そうですね。僕は400万円の貯金のうち200万円で投資を始めたのですが、最初の段階で、もしその大半を失う羽目になっていたら、その時点で投資をやめていたと思います。そうしたら今も普通に会社員を続けていたでしょう。やるべきことをやって、それが報われてよかったとつくづく思います。相場では、どれだけやっても報われないことも多いですから。

信用取引を駆使して「大膨張」を実現した

──その後、信用取引を始めるわけですが、何かきっかけがあったのですか。

 投資を始めてもうすぐ2年という頃、アーネストワン(現・飯田グループホールディングス子会社)という新興不動産デベロッパーの株を購入しました。当時、不動産業界は人気がなく、この銘柄も業績がいいのに割安でした。たしかPERは4倍くらいだったと思います。それで、今がチャンスだと考え、300万円投資したんです。その頃は元本の200万円が倍に増えていましたから、全資産の75%を注ぎ込んだわけです。

──思惑通り、株価は上がっていった?

 はい、予想を超える勢いでした。ただ、その一方で、ほかの新興デベロッパーにも目がいくようになったんです。アーネストワンに負けず劣らず伸びている企業がけっこうあったので。

──でも、いろいろな会社に投資するには資金が足りなかったと。

 そういうことです。もちろん、アーネストワンの株をいくらか売ってほかの銘柄を買うという手段もありました。でも、アーネストワンもまだまだ上がるという自信がありましたから、それはちょっともったいない。で、これはもう信用取引を始めるしかないと考えたわけです。

──なるほど。

 信用取引だと自己資金の約3倍の投資ができます。その頃、資産は500万円ほどに膨らんでいましたから、信用を使えば最大1500万円分運用することが可能でした。それでアーネストワンの株を持ったまま、やはり飛ぶ鳥を落とす勢いで伸びていたフージャースコーポレーション、日本エスコン、ファースト住建といった不動産会社の株を購入したわけです。

──そこからDAIBOUCHOU(大膨張)が始まったわけですね。

 当時、持っていた銘柄の大半が最安値に対して10倍、20倍まで高騰しましたからね。結果、信用取引を始めてから1年で資産は1億円に達しました。その後、不動産流動化関連銘柄も購入するようになり、資産は2億4000万円まで増えました。まあ、その直後に大暴落が起き、一瞬にして9,000万円まで減らしてしまうわけですが。

──2004年の5月ですね。

 今、振り返ると株価が上がりすぎた反動だと思うのですが、何の前触れもなく、突然暴落したんです。

「カードローンで200万円必要だったので、各カード会社を行脚して手元資金を調達した」というDAIBOUCHOUさん。お人柄からか、飄々と語っていたが、当時の心境たるや…。想像するとゾワゾワする。

──追い証(信用取引で損を出したときに保証金を追加すること)が発生した?

 はい、初めて経験なので、さすがに焦りました。ただ、危険なので本当はやりたくないのですが、万が一の場合はカードキャッシングで現金を用意しようと考えていたんです。信用取引を行う限り、追い証を求められる可能性はあるわけですから。だから、どうしていいかわからず、おろおろするようなことはありませんでした。そのときはカードキャッシングの手続きを済ませ、何とか急場をしのぎました。

──それでも1億5,000万円の損失があった?

 もし追証が間に合わなかったら、その程度では済まなかったでしょうから、自分ではぎりぎりセーフという感じでした。9,000万円残ったのは大きかったですね。

いつどんなときも最悪の事態にそなえる

──大暴落でどん底を経験されたわけですが、そこから見事にカムバックされますね。

 そのときの暴落は一過性のもので、すぐに上げ相場に戻ったんです。とくに僕が保有していた不動産関連銘柄は好調で、約半年で9,000万円から1億6,000万円に復活しました。さらに2005年の後半に入ると、世の中の投資ブームにも乗り、驚くほどの勢いで上昇していきました。結果、その年の12月に10億円の大台に乗せることができたわけです。

──10億円あれば一生遊んで暮らせますよね(笑)。そのとき投資生活から足を洗って、悠々自適の暮らしを送ろうとは考えませんでした?

 正直言うとちょっと考えました(笑)。でも、それどころではなくなってしまったんですよ。

──ライブドアショックですね。

 おっしゃる通りです。たしか翌年1月の半ばでしたが、ライブドア本社に強制捜査が入ったというニュースが飛び込んできたんです。そしてそれを機に株式市場が混乱し、大暴落に至りました。

──それで10億円の半分が泡と消えた?

 同時にリタイア計画も立ち消えとなりました(笑)。

──5億円損した経験のある人は、そうはいないと思うんです。どんな気持ちなんでしょう?

 実はこの頃、あるテレビ局に取材されたんです。「ライブドアショックでひと財産失った人」として(笑)。当然、テレビ局は「ホリエモン憎し!」みたいなコメントを期待していたのでしょうが、僕自身はべつに恨みには思っていませんでした。というのも、当時、ライブドアのような勢いのある新興企業がたくさんあったからこそ、僕は10億円に到達できたわけです。ある意味、ホリエモンさまさまだったわけです。しかも、暴落したといえ、まだ5億円残っている。1年半前は9,000万円まで減ってしまったわけですから、5倍以上に増えているんです。そこで「ホリエモンに恨みはない」みたいな話をしたら、テレビ局の人はアテが外れて困っていましたが(笑)。

──つまり、あまりショックではなかった?

 もちろん、ショックはありましたけど、投資をしている限り、こういうことは起こりえるわけで、仕方ないかなという感じでしたね。

──案外、冷静でいられるものなんですね。

 長く投資をしていると、最悪の事態に対する心の準備みたいものが自然とそなわってくるんです。めちゃくちゃ調子のいいときでも「この状態がいつまでも続くわけがない」「そのうち突き落とされるだろう」という思いが心のどこかにあります。だから、冷静でいられるんでしょうね。

──この後、リーマン・ショックが訪れます。そのときはどうだったんですか。

 じつはライブドア・ショックの後、日本株を売り払い、中国株やベトナム株に乗り換えたんです。このへんで少し気分転換するのも悪くないかなと思って。ところが、そのうちベトナムの情勢が怪しくなってきまして。日本株に戻ろうかと考えたのですが、日本市場もパっとしませんでした。とくに僕が得意にしていた不動産株が最悪の状態でした。で、ここは守りに徹するのが得策かなと思い、株はやめて、REIT(不動産投資信託)に乗り換えたんです。

──つまり、リーマン・ショックのときは株を保有していなかった?

 そういうことです。もちろんREITも下落しましたから、それなりに損失はありました。でも、周りに比べたら被害は少なかったかもしれません。

──なんらかの勘が働いたのかもしれませんね。

 2007年3月以降のサブプライム問題、ベトナム株下落とベトナム通貨のドン下げ、欧米の投資資金が日本の不動産を売却して、日本の不動産投資関連会社の破綻続出などを見ていて、なんで、欧米資金が逃げ出しているのか、不安に感じていました。リーマン・ショックの大余波を予期していたわけではありませんが、米国の金融情勢が悲劇的な状況の割には比較的大人しい株価推移だったため、おかしな雰囲気を感じて少し怖かったのは確かです。

 リーマン・ショックの大余波を予期していたわけではありませんが、結果的にはその後、リーマン・ブラザーズが経営破たんし、AIGさえも経営破たんが懸念され、100年に1度の大暴落となりました。今思うと、当時感じた「おかしな雰囲気」というのは当たっていたといえますね。

──では、次回はその後の経緯をおうかがいします。

 

>>中編:DAIBOUCHOUさんに聞く!2019年の投資方針 を読む!

>>後編:DAIBOUCHOUさんはなぜ再び勝者になれたのか? を読む!

 

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