「SRI」が再登場
もう10年以上前のことになるが、「SRI」が話題になったことがある。「S」は社会を意味するソーシャルのS、「R」は責任を意味するリスポンシビリティのR、「I」はインベストメントのIで、「SRI」は「社会的責任投資」と訳された。
社会的に好ましくない企業には投資しない投資方法を普及することで、投資を通じて望ましい社会を作ろうとする理念を掲げていた。望ましくないとされた企業にとって、ある資金に「投資して貰えない」ことがどの程度の影響力を持つのかは微妙な問題だが、「投資を通じて、社会を変える」という考え方に魅力を感ずる向きもあったようだし、運用商品として、投資信託などに「SRIファンド」を標榜するものがいくつか登場した。しかし、この時点では、大いに流行ったとは言い難い。
一方、近年、「ESG投資」という言葉をしばしば耳にするようになった。「E」は環境を意味するエンバイロンメントのE、「S」はソーシャルのS、「G」は企業統治を意味するガバナンスのGだ。「環境への配慮と持続性」、「好ましい社会性」、「企業統治」などが評価の対象になる。
企業統治が評価項目に入ったところに少々違いがあるが、はっきり言ってかつての「SRI」の焼き直しである。
運用業界は、欧米の年金基金などの機関投資家の資金で大規模に採用されていることを訴えて、「ESG投資が今後のトレンドである」という雰囲気を醸し出そうとしているようだ。ESG投資を標榜する運用を採用する大規模な機関投資家も出てきたし、ESGに叶う企業を集めたとするインデックス(株価指数)も作成されている。
個人投資家は、ESG投資についてどう考えたらいいのだろうか。
「E」、「S」、「G」は大事だが
企業として、環境に配慮して将来も持続可能なビジネスを営むことは大切だ。また、企業は社会的存在でもあるので、人種・性別などの不当な差別などを排して社会的に望ましい形でビジネスを行うべきだ。加えて、株主・従業員・取引先といったステーク・ホルダー(要は「利害関係者」)の公平な利益を実現するように公明正大かつ効率的に運営されることが望ましい。
「E」・「S」・「G」が表す理念がいずれも重要であることについては、反論の余地がないし、一点の曇りもない。それぞれの、どれで問題を起こしたとしても、企業の価値は大きく損なわれる可能性があるので、経営者ばかりでなく、社員一同、大いに留意することが望ましい。
この点については、何ら問題はないのだが、一方で、ESGの理念に叶わない企業を投資対象から外すことの効果と意味はどうなのだろうか。
大っぴらには考えにくいケースだが、たとえば、ある企業が環境や社会に良くないとされるビジネスに進出することを検討するとしよう。この場合、ESG投資を標榜する投資家がこの企業の株式を売却する可能性があるので、株価の下落を恐れる経営者は、悪徳ビジネスへの進出を止めるかも知れない。
ESG投資が、企業の活動に影響を与えるとすると、こうした経路からだろう。経営者が、ESG投資資金の動きや、ESG投資関係者からもたらされる評判に、どの程度気を遣うかが問題になる。
一方、非ESG投資の資金は、企業がESGの理念に叶わない活動を行うとしても、それが合法で収益性があると見るなら、ESG資金が株式を売却して株価が下がった場面を絶好の買い場と判断してその企業の株式を買うだろう。「ESG売り」で下がった株価は、非ESG投資家にとって絶好の買い場を提供する可能性がある。
たとえば、複数いた女性取締役がたまたま同時に退任したことで企業評価のスコアが下がってESG的な指数から外れて株式が売られた企業があるとしよう。株価が下がってもビジネス自体が損なわれた訳ではないから、この下がった株価は有力な買い材料だ。
端的に言って、企業の活動は、環境・社会・ガバナンスを考えた上で、それが、合法なのか否か、評判に与える影響はどうなのか、短期・長期両方にあって収益への影響はどうなのか、といった判断に総合的に影響されるが、投資家の行動の影響は案外曖昧だ。
仮に、反社会的な企業があるとすると、この企業の行動を違法とするようなルールを作るのか、社会的に非難を集めることでその行動の収益性を奪うのか、社会運動としてはいずれかの方策を採ることが正道だろう。違法・反社会的と認定する企業が活動することを社会として認めること自体がおかしい。
つまり、投資するかしないかで、企業の行動を変えようとするやり方は、企業に影響力を行使する方法として「割り当て」が適切ではないのではなかろうか。
「他人のお金でESG投資」は反則!
年金基金など他人のお金を運用する主体が、ESG投資を考える場合に関して言っておきたいことがある。
台詞にするなら、「他人のお金で、正義面をするのはおやめなさい」ということだ。
年金基金の場合で言うと、基金は、年金加入者の最善の利益のために行動する義務がある。大まかには、英語では「プルーデントマン・ルール」、日本語では「受託者責任」に叶う行動が必要だ。運用を受託する者は、委託者のために最善の運用成果を追求する義務を負う。
一方で、「ESG投資」と「ESGの制約のない投資」を比較すると、運用者の判断上、前者が後者を上回ることはあり得ない。
たとえば、期待リターンとリスクで目的関数(「効用関数」と呼ぶ)を作って最適なポートフォリオを求めるとして、「100銘柄の期待リターンとリスクがわかっていて作るポートフォリオA」と、「100銘柄からESGの観点で5銘柄除外した95銘柄で作るポートフォリオB」を比較した場合に、「期待値ベースでは」ポートフォリオBがポートフォリオAを上回ることはあり得ない。
結果的にESGポートフォリオが、制限のないポートフォリオよりも優れたパフォーマンスを出すことがあり得るが、それは単なる結果論であって、意図的なものではあり得ない。
年金基金のような運用に最善を求めるべき「受託者」の立場で、ポートフォリオBの方を選んでもいいという論理を見つけることは困難だ。
もちろん、「社会にとっていい会社に投資しましょう」という理念に投資家個人が共感して投資することは、投資として賢くはないかも知れないが、個人の趣味的選択としてあってもいいだろう。
しかし、年金基金のように他人から預かったお金で理念への賛意を表現することでベストな運用の可能性を放棄することは不適切だし、FP(ファイナンシャルプランナー)やIFA(金融商品仲介業)のようなプロフェッショナルなアドバイザーが顧客に「ESG投資がいい」とアドバイスすることも適切ではないという論理は理解しておきたい。
「ESG投資」の傍観者であろう
賛否を離れた予想の問題として(筆者は明確に「反対」だが)、ESG投資が今後どの程度流行するのかは、現時点ではよくわからない。案外流行って、一つのトレンドとなる可能性がないとは言えない。
現在のESG投資ブームには、運用業界自身の「仕事作り」の側面があるように思う。背景には、インデックス運用の普及とこれにともなうフィー(運用手数料)の低下があると言っていいだろう。運用会社も、年金基金も、年金基金を相手にするコンサルティング会社も広義の「運用業界」だが、彼らは新しい仕事を探しかつ作ろうとしているのだ。
前述のように運用そのものの改善にはつながらない動きなので、筆者は、ESG投資を採用することに反対だが、一種のサービス・ビジネスとしてこれに取り組む人々がいることは怪しむに当たらない。
さて、投資について判断する場合には、好き嫌いを持ち込まない方がいい。
今後、「E」・「S」・「G」の何れかの観点で優れていると評価された銘柄が高く買われる可能性は十分あると考えておこう。これにあえて逆らう必要はない。
しかし、投資家としては、こうした評価が重要視されるようになった場合、現時点で「E」・「S」・「G」のいずれかが劣っている銘柄が、たまたまか心を入れ替えるかで、「少し改善する可能性」に賭けることが妙味のある投資機会になる可能性があるのではないかと思う。
ESG投資は、これに乗ろうとするのではなく、さりとて無視するのでもなく、距離を取って眺めることにするのがベストではないかというのが筆者の結論だ。
なお、社会貢献に積極的に取り組みたい向きには、ESG投資のような中途半端な行動で満足するのではなく、最善の運用による最高の効率で資産を増やして、これを大いに社会貢献活動に使って欲しい。
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