円は世界の投機家にとって熱愛の的である。投機家は不確実性を忌み嫌うが、計算できるリスクはこれを利用して利益を得ようとする。そして、動きの速いグローバルな資産運用業界にとって、円は他の資産クラスよりもはるかに勝ち目が高い投資先である。

 信じがたいことだが、グローバル市場が新たな危機や突然の災難に見舞われるとほぼ100%の確率で急激に円高が進むのは事実である。ブレグジット・ショック、最近浮上してきた貿易戦争への懸念、北朝鮮のミサイル発射、日本国内で頻発する大震災など世界に衝撃を与える事象が起こると、必ずと言っていいほど円はすぐに急騰する。予測可能性がこれほど高い資産クラスは世界のどこを探しても他になく、だからこそ世界中の投機家が円をこよなく愛しているのである。

 日本にとっては、グローバルイベントに対する円の異常に高い感応度は深刻な問題である。世界的混乱を事実上引き受ける形で、円高は日本経済に大きな打撃をもたらす。実際、過去50年間で見ると景気減速が起こる前に必ず円は上昇している。

 これには明らかな因果関係がある。日本企業の利益の約2/3は輸出、あるいは(現地生産による)海外売上が生み出している。従って、円高になると海外収益の円換算値は目減りするのである。

 端的に言って、円高は日本株式会社の利益に多大な打撃を与える。具体的には、円が1円上昇するごとに約1%の減益になり、ここから円高に始まり景気後退に至る悪循環が始まる。減益は即座に従業員の年収減をもたらし、結果的に消費支出を圧迫する。

 加えて、採算が悪化した大手輸出企業はすぐに国内のサプライヤーや小売業者に値引きを求める。日本では、海外事業を展開する大企業と国内中小企業との関係が非常に強いため、円高が続けば、経済にとってはマイナスなデフレ・フィードバックの循環が即座に始まる。

 日本の株価と円相場の間に見られる強い負の相関性の背景には、円高による企業の採算悪化がある。ほぼ9割の確率で円高は日本株の下落を招く。繰り返しになるが、投資家や投機家はこうした高い確率とはっきりとした因果関係を好む。そう、世界を揺るがすような事態が起こる兆しを察知したら、円をロング、日本株を空売りするのが賢明な投資手法である。

 従って、円を「安全な資産」と考えるのは間違っている。安全な資産という概念は、言外にポジティブな意味合いを含んでいる。 つまり、マネーは自国に持ち帰り、値上がりが期待できる、もしくは一定の価値を維持できると思われる現地証券の形で資産を運用するというわけだ。しかし、全く逆の展開もありうる。円高により日本株は下落し、それが景気減速とデフレを引き起こす。日本株を空売りしないかぎり、日本で利益を得ることはできないのである。 

 残念ながら、円高から国内の資産デフレにつながる悪循環から抜け出すのは容易ではない。最初のリンク、つまり世界危機が誘発した「リスクオフ」環境と円高を切り離すためには資本規制、すなわち短期の利益を狙う投機家が円で資金調達することを禁じる必要がある。ただ、円はグローバルな調達通貨であるため(日本は米国国債の唯一最大の保有国)、世界的な金融危機を引き起こしたいならいざ知らず、通貨安定の手段としての資本規制は日本にとっての選択肢ではない。

 一方、2番目のリンク、つまり円相場と株式市場・経済の関連性を断つことは可能である。そのためには2つの対抗措置、すなわち企業部門による製造業からサービス業への戦略的な事業再編、ならびに家計部門の資産ポートフォリオのリバランスが考えられる。

 企業部門による製造業からサービス業への戦略的事業再編は国内市場で創出する利益の拡大をもたらし、結果として円高と収益性のリンク分断を可能にするだろう。日本国内の利益率は、サービス・セクターの著しく低い資本効率と上場サービス企業の不足を背景にグローバル基準を大幅に下回っている。人口動態の変化が生み出す新たな技術と顧客ニーズは国内サービス業における起業・投資ブームを巻き起こすとみられることから、日本のサービス・セクターは大変革の時期を迎えていると考えられる。国内サービス・セクターの収益性が改善すれば、上場するサービス企業の数が増えて成長し、経済全体が輸出企業の利益に頼るという従来の構図は徐々に崩れていくであろう。

 そのためには、ヘルスケア、金融、観光、総合型リゾート、スポーツ、デザイン、エンターテインメントなどの分野で経済特区政策をこれまでより積極的に推進する必要がある。脱工業化社会のサービス業に注力した起業家努力は税優遇措置、ならびに官民投資からの創業資金で応援すべきである。

 第二に、円高が引き起こす株式の空売りに対処するため、日本は新たな買い手を引き寄せる必要がある。その意味で最も有力な資金源は膨大な預貯金を有する一般の家計部門である。ここでも、株式投資を促す税優遇措置を設けたり、例えば、株式を相続する際にかかる相続税などの株式投資意欲をそぐような制度を廃止したりすることが考えられる。

 しかし、最も大きな変革が求められるのは日本の金融サービス業界である。現在の事業慣行と金融商品は選択の幅が狭いだけでなく、コストが非常に高い。日本で販売されている一般的な個人向け投資ファンドの場合、投資家が支払う総費用は米国のほぼ4倍に達している。つまり、消費者が資金運用に投資信託ではなく銀行預金を選ぶのは、結局のところ合理的なコスト意識が働くからである。家計部門が温存している巨額の預貯金を引き寄せるために、日本の金融機関がコスト効率の優れた投資商品を提供する必要があることに疑問の余地はない。

 新たな金融商品と販売慣行の向上がないかぎり、日本は円高による株価下落という悪循環を断ち切ることはできないだろう。日本が世界の投機家の気まぐれに左右されないためには、まずは自国の資産がもっと国内投資家に好まれなければならないのである。

 

2018年4月7日 記

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