森友の書類改ざん問題を巡っては各方面から「前代未聞」「信じられない」との声が上がっています。もちろん性善説が前提であればそうなるのかもしれません。ただ私のように、金融の世界に居る人間は、何事においても「絶対」という考え方はせず、確率で考えるようにしています。たとえば確かに、財務省が書類を改ざんという行為を行っているような可能性は、限りなくゼロに近かったでしょう。しかし、もともとゼロではありません。しかも客観的に考えて、終身雇用制が前提である日本では、そうでない米国よりも、不正が行われる可能性は高めに見積もっておかなければなりません。

 もちろん米国でも企業の不正は多く起こっています。しかし米国では雇用・被雇用は基本的に自由ですから、不正が起こるのは多くの場合、動機は金銭です。不正を働く人も普通はリスクとリターンのバランスを考えるはずですから、リターンを大きく上回る刑事罰や罰金を設定しておくことによって、多くの不正を防ごうとするシステムになっています。たとえば2008~9年に投資詐欺が発覚したメイドフ受刑囚やサンフォード受刑囚は、いずれも100年以上の禁固刑と共に、巨額の罰金が科せられています。2002年に粉飾決算が発覚したエンロンのCEOは今も服役中です。

 これに対して、終身雇用制が前提である日本で起こる不正は、問題が厄介です。というのは、実際に株主等が被る被害は非常に大きくても、多くの場合その動機は金銭目的ではなく、昇進や評価だからです。しかも日本では裁判等でも「株主のようなお金持ちが被る損失」は優先順位が高くない一方、昇進や評価目的の不正は情状酌量の余地が大きいと判断され、罪が軽くなる傾向があります。与えた損失は巨額でも、日本のホワイトカラー犯罪で、禁固10年以上の刑となるようなケースは極めて少ないのではないでしょうか。

 この結果、日本では不正を働くことによるリスクがリターンに対して非常に甘くなっていると感じます。終身雇用制において、被雇用者が昇進や評価に置く価値は非常に大きなものです。給与や賞与、退職金、年金など金銭的なものにとどまらず、やり甲斐、地位、世間体、名誉などお金で買えない(測れない)大きな価値が入っているからです。

 また上司に不正を指示されたとして、それを拒否したときに想定される不遇な状況も計算に入るでしょう。日本は「就職」でなく「就社」の色彩が強く労働市場が流動的ではないので、もし会社を辞めざるを得なくなったら、などを勘案すると、相対的な価値はさらに大きくなります。このような価値が法的に適正に反映されないことによって、不正を働くことに伴うリスクに比べ、得られるリターンが大きくなってしまっているのです。


 終身雇用制は経営者の判断も歪めます。業績が悪くなっても従業員をクビにできないので、仕方なく粉飾決算に手を染めることになります。幸いゼロ金利がずっと続いているので、粉飾決算は長い間表面化することもなく、ゾンビ企業として生き続けることができます。問題が発覚しても「雇用を守るためにやりました」と言えば、裁判所が情状酌量してくれるだろう、という期待も計算式に入っているでしょう。本来であれば、優秀な人材はさっさとそのような会社を去って新天地でその能力を発揮すべきところが、それを難しくしているのが終身雇用制なのです。

 このような終身雇用制がもたらす問題を考えれば、それを防ぐシステムは非常に強固なものでなければなりません。しかし残念ながら、米国に比べ、多くの日本企業のコーポレートガバナンスは弱いままです。取締役会のメンバーのほとんどが従業員出身者であったり、過剰な買収防衛策を採用していたり、株主優待制度によって相対的に外人投資家を不利にしていたり、多くの子会社を抱えていたり…もちろん、多くの組織は倫理観に優れ、不正とは関係ないのでしょうが、このような要素を一つ一つ積み上げていくと、終身雇用制に伴うリスクは、客観的に判断して、一般的に高く見積もっておかなければなりません。これは実際、オリンパスや東芝など、多くの企業不正が発覚していることによってすでに証明されています。

 何よりも、このような状況は日本経済全体にとって大きなマイナスです。財務省にいるような優秀な人材が、修正液やコピー機を駆使した工作作業のために深夜まで残業を強いられるというのは、資源の大きな無駄遣いです。企業でも不正を指示されるようなことがあれば、サラリーマンである前に、人間であることを思い出していただきたいと思います。終身雇用制と日本のガバナンス体制を考えれば、今のところ、このような不安を払拭できるのは一人一人の倫理観しかないのだと思います。今回、3月2日付け朝日新聞の記事をきっかけに財務省による文書改ざんが明らかになりましたが、リーク元は、倫理観と勇気ある財務省内部であったことを願うばかりです。