※この記事は2025年12月31日に掲載されたものです。

お金の不安と向き合う

「私はお金について一切の不安はありません」

 そう言い切れる人が今どれだけいるでしょうか。

 もちろん、とても多くのお金を持っている人はそう断言できるかもしれません。でもそれとて、お金をめぐるゲームのルールを熟知しているからこそ、そう言い切れるのではないかと思います。

 僕は30代前半に根を詰めて働きすぎた結果慢性的なうつになってしまい、長く働くことができなくなってしまいました。仕事に没頭していた20代と打って変わって(若い頃はなぜかお金がなくてもあまり将来を心配しないですね)、一気にお金の不安と向き合わざるを得なくなったのです。

井上 慎平さん
井上 慎平 いのうえ しんぺい
NewsPicksパブリッシング創刊編集長/『強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考』著者
出版社2社を経て2019年、書籍レーベル「NewsPicksパブリッシング」を立ち上げ編集長を務めた。担当書に中室牧子『学力の経済学』、北野唯我『転職の思考法』、安宅和人『シン・ニホン』など。2025年、自著『強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考』をダイヤモンド社より出版。「問い読」共同創業者。

   なぜ僕は働けなくなるほどに働きすぎてしまったのか。僕の場合、「お金というゲーム」について考えることは、「働くというゲーム」について考えることでもありました。

「働くというゲーム」には、あるべきビジネスパーソン像というものがあります。うつになってそこから外れてしまった僕は、この社会全体のゲームのルールを解き明かそうと考えました。

なぜ「お金がないと生きていけない社会」になったのか?

 僕はまず「そもそもなぜこの社会ではこれほどお金が幅を利かせているのか?」について考えました。昔々、自給自足の社会にはお金が存在しませんでした。なぜなら、市場(マーケット)で物を交換する習慣がなかったからです。それでも人間は生きていけた。この状態を「市場依存度0%」と定義しましょう。

 そこから人類は長い時間をかけほぼ「市場依存度100%」の社会をつくりあげました。言い換えれば、現代社会は他人がつくったものに100%依存している。農家ですら肥料や農機具を他人に依存しています。

 でも、それは悲しむべきことではありません。この市場(マーケット)こそが人類の偉大な発明であり、今日僕たちがエアコンや冷蔵庫によって快適な生活を享受できているのも、市場によって複雑な分業が発展したおかげなのです。

ゲームとは気づいたら始まっているものである

 僕たちはこの市場というゲームに、市場化された社会に、奇遇にも生み落とされました。自分で選んだわけではなくても、気づいたらゲームは始まっていた。ゲームとはそういうものである。そのことをまずは理解しなくてはなりません。

 だからこそ私たちは、働くことを通じてお金を稼がなければならない。投資だけで食えていないかぎりは。

 ここで僕たちは「働くというゲーム」にもまた放り込まれることになります。そのゲームは楽ではありません。法人も個人も常に成長を要求され、「変革」の言葉が常に社内を飛び交い、この加速し続ける社会をサバイブしなければならない。「お金というゲーム」が「働くというゲーム」を駆動させます。

 でも、もうそろそろみんな疲弊しきっているのではないか。僕には世の中がそう見えています。なぜなら、成長には終わりがないからです。しかし、人間が変化についていく速度には限度があります。

 ところで、みなさんが働く会社はなぜ成長しなければならないのでしょうか。そう、投資家が求めるからですね。ここで「お金というゲーム」と「働くというゲーム」が接続します。

 僕たちはある面では投資家として成長の恩恵を受ける。それは、ある面では投資家の求めるプレッシャーに労働者としてさらされるということでもある。

 僕たちは望むと望まざるとにかかわらず、常に二重のゲームをプレーしているのです。