「国の年金を65歳ではなく60歳に繰り上げ、減額でもらい、運用をすれば損はしない」という論考が話題です。これは本当に可能なのでしょうか。弱点はないのかいくつかの視点から考えてみましょう。
国の年金をあえて60歳に繰り上げて運用した方が有利?
トウシルにも連載がある横田健一さん(友人でもあります)の新刊「増やしながらしっかり使う 60歳からの賢い『お金の回し方』」にユニークな試算が紹介されていました。それは「あえて年金を60歳から繰り上げてもらい、運用したほうが有利かも」というものです。
公的年金は一般的に、65歳で受け取るか、65歳以降の繰り下げを検討した方がいい、と言われます。しかし、あえて繰り上げで60歳から受け取り、たとえ生涯にわたって24%ダウンすることになっても減少分は投資で稼げばカバー可能ではないか、というのです。
試算によると、もし減額されたとしても年率6%のリターンを稼ぎ続けることができれば、100歳になるまでに60歳に繰り上げたほうが、65歳で受け取るよりも受給額が上回ったといいます。
読者の皆さんはどう思うでしょうか。投資経験が長い人ほど「自分で稼いだほうがチャンスがあるなら、早く受け取るのもアリか」と思うでしょう。
一方で投資経験が浅いか、年率6%という数字の実現性に自信を持てない人は「安定収入になる年金のほうがいいんじゃないか」と感じるでしょう。
私は、社会保障制度としての年金制度の価値を考えると、「少なくとも標準の65歳」できれば「繰り下げて増額して受け取る」ほうに分があると考えます。その理由として、いくつかポイントを整理してみましょう。
無視できない四つの投資と比較する目線に欠けているもの
横田さんのシミュレーションは、年金制度の価値を考えることができるよい試算だと思いますが、私は以下の4点から「繰り上げしない方がよい」と考えます。
1.運用の不確実性は無視できない
まず、運用には不確実性が伴います。年率6%の平均リターンとしても、実際には上下動が生じるものです。特に「XXショック」が生じた場合、予定通りに運用収益が確保できないという問題は、高齢期にとって深刻です。
高齢期の初期に運用で足踏みをしてしまうと、老後の資金計画が不安定になります。かといって、高齢期の後期に急落を被り、手元資金がショートする恐れがあるのも、好ましくありません。
2.加齢に伴うリスク許容度の低下
運用の不確実性があったとしても、中長期的な投資が可能な人は、最終的にプラスリターンで終えることができます。なぜなら、長い目で見れば経済は回復し、さらに発展するからです。
しかし、高齢者の「個人」には時間が有限です。年齢とともにリスク許容度の低下が徐々に生じます。もしポートフォリオのリスクを少しずつ下げていくように資産配分の見直しをすれば、期待リターンも徐々に下がっていくことになります。この点も運用計画を厳しくします。
3.認知能力の低下と投資はどう向き合うのか
リスク許容度の低下を考えるとき、高齢期における認知能力の低下も無視できません。金融機関は、75歳以上の新規口座開設や金融商品のセールスについて、顧客の認知能力低下の可能性などを慎重に判断するようになっています。すでに口座開設済みであれば、いきなり売買制限されることはありませんが、高齢期の判断能力低下をシビアに考えているためです。
あるレポートによれば、軽度認知障害を含めると、高齢者の約3.6人に1人が認知症、またはその予備群であるとされ、その総数は1,000万人に達するとしています。
認知能力の変化は個人差が大きいため、ひとくくりに「X歳以上は投資できない」と決めつけるべきではありませんが、加齢に伴い認知症の発症割合が高まることは事実です。もし認知症となった場合、それ以前と同様に自身で売買判断を下すことが難しくなります。
この点では、どのような状態であろうと定期的な入金が継続される公的年金に利便性の高さがあろうかと思います。
例えば、自分のことを分からなくなっても体は健康という状況になった場合、「運用を自己責任で行い収益を得続ける」ことは現実的ではありません。しかし「公的年金収入は確実に振り込まれるので、特別養護老人ホームの費用は自動引き落としでまかなえ資金不足の心配がない」という状態はつくれるでしょう。
4.年金のインフレヘッジ機能は小さくない
年金額はある程度、インフレにも追随します。「実質マイナス」とよく言われるものの今年の年金額はプラス1.9%改定されており、確実に増額改定はされています。これは、少なくとも現在の定期預金金利を大きく上回ります。運用として1.9%に増やしたと考えれば悪くないリターンでしょう。
運用資金については収益率だけでなく、「物価上昇を実質的に何%上回ったか」がカギとなります。これもまた運用においてはハードルです。「プラス運用だったが物価に負けた」では実質マイナス運用となってしまうからです。
現状では、確かに年金は物価上昇率をフルカバーしてくれません。しかし、堅実に増額を行う公的年金にも「運用力」があるといえます。
年金はほとんどの人にとっては通常受け取りのほうがよいのではないか
年金はそのまま消費に回るということもあります。仮に60歳で年金を受け取り始めて運用に全額回したとしても「年金をもらうが、使わず投資に回す」ということは、少なくとも65歳までは継続して働くことになります。
もし65歳から完全にリタイアをした場合、それ以降の年金収入はそのまま同月の生活費に消費され投資元本に回ることはありません。
従って、本来の年金額より24%減額された年金を60歳から受け取ったとしても、投資元本に全額投入できるのは65歳までの5年間しかないわけです。その後は、年金収入はそのまま生活費に回るどころか、減額された年金では生活費が不足し、貯蓄の取り崩しが必要になるかもしれません。
このようにシミュレーションをすればするほど、年金の受取開始時期についてなかなか簡単な結論はでないでしょう。だからこそ、普通の人は、普通に65歳から年金を受け取り始めるほうがいいでしょう。
働き方を考慮し、もし可能であれば年金を受け取らず繰り下げを考えてみます。これについては、正社員並みの年収が65歳も続くケースなどに限定すればよく、無理をする必要はありません(預金を取り崩しながら繰り下げ増額を狙うのは高度なテクニックといえます)。
もちろん、自分の運用能力に高い自信がある場合や、年金に頼らずに暮らせるほどの資金がある場合、あるいは働き続けられる人が「あえて繰り上げ減額し、運用に回す」という選択をするのも自由です。公的な社会保障制度について疑念を持っている人も早くもらったほうがいいでしょう。
また、健康に不安があるような場合も、気にせず早く受け取っていいと思います(この場合は投資に回すよりも、生活費に充てる方が良いでしょう)。
年金の受取開始年齢について結論は一律ではなく、一人一人が下すものです。今回の横田さんのように繰り上げを推す記事があり、今はまだ利用率の低い繰り下げについての情報があり、と多様な情報が発信されることはいい傾向です。
たくさんの情報を見ながら、ぜひ自分にとっての最適な結論、納得のいく受け取り方を見つけてほしいと思います。
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