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著者の吉田 哲が解説しています。以下のリンクよりご視聴ください。
東日本大震災発生の年から続くインフレの原因

2011年3月11日(金)14時46分ごろ

 東日本大震災発生から、14年が経過しました。毎年3月11日、筆者は以下の写真を見返しています。

 2011年3月11日の夜、徒歩で帰宅した際に撮影した写真です。東京都内から筆者の自宅がある埼玉県につながる幹線道路沿いの量販店前に大行列ができていました。深夜、これから数キロから数十キロを歩くかどうかの判断の末、「自転車」を購入することを決めた人たちが殺到していた様子です。

図:2011年3月11日(金)午後11時02分

図:2011年3月11日(金)午後11時02分 東京都内から筆者の自宅がある埼玉県につながる幹線道路沿いの量販店前の大行列
出所:東京都内で筆者撮影

 この写真を見ると、あの時刻、妻と娘だけでなく、山形県の宮城県寄りの地域に住む両親と姉の家族とも連絡がつかず、不安が膨れ上がったことが、鮮明に思い起こされます。「人の生死」を強く意識しながら、東京から離れる人の群れの一人となり、黙々と歩きました。オフィスからおよそ40キロ離れた自宅に着いたのは、日が昇る直前でした。

 当該災害を機に日本では、災害対策に関する議論はもちろん、誰かを思う気持ちとは?生とは?死とは?などの議論が加速したと感じています。

 先日、筆者は当該災害で甚大な被害を受けた福島県南相馬市の小高区にある海岸を訪れました。天気が良く、波が穏やかで、遠くにタンカーなどの船舶が行き来している様子がはっきり見えました。

 小高区は同震災がきっかけで作られた合唱曲「群青」のモチーフになった場所です。同曲はいまでも日本全国で歌い継がれています。当該災害を語り継ぐ上で欠かせない、重要な一曲です。

図:福島県南相馬市小高区の海岸から見える景色(2025年2月)

図:福島県南相馬市小高区の海岸から見える景色(2025年2月)
出所:福島県南相馬市小高区で筆者撮影

 海岸から海を見ながら、14年の月日を振り返りました。この14年。筆者個人にとって、日本にとって、大変にさまざまなことが起きました。では「世界では?」。この問いへの答えを、自由度・民主度を示す指数「自由民主主義指数」をもとに、導き出そうと思います。