これまでのあらすじ

 信一郎と理香は小学生と0歳児の子どもを持つ夫婦。第二子の長女誕生と、長男の中学進学問題で、教育費の負担が気になり始め、毎週金曜夜にマネー会議をすることになった二人。息子の進学、住宅ローン開始と、新生活を始めた夫婦は、今後のライフプランとマネープランについて、話し合うようになる…。

人物相関図

 遅めのランチを取り、慌ててオフィスに戻る途中の理香のスマホが短く鳴る。メッセージアプリの着信音だ。

 エレベーターに駆け込んだ理香は、上昇するエレベーターの中であわただしくスマホを取り出す。

 美咲の保育園か、健の学校か。緊急の対応でないことを祈りながら、働くママはアプリを開いた。

理香と信一郎のメッセージやり取り

 緊急ではなかったが、気になるメッセージだ。理香は定時に帰宅できるよう、タスクの優先順位を入れ替え、猛然と仕事に立ち向かった。

―――

「コサージュ? え? 結婚式とか卒業式とかで服に着けるアレですか?」

「違う違う」

 理香の問いに信一郎の父は苦笑して手を振る。

 週末、慌てて駆け付けた信一郎と理香に、[サービス付き高齢者向け住宅]、略して「サ高住(サコウジュウ)」という住宅に転居を考えている、と、信一郎の両親は説明した。

「60歳以上か、要介護認定を受けている人が入れるシニア向けの賃貸住宅だよ。住宅のつくりがまずバリアフリーだし、安否確認をしてくれたり、生活相談サービスがついているから、高齢者でも安心して暮らせる環境が整っているんだ。」

 高齢者=老人ホーム、という認識はもう古いらしい。昨今は高齢者向けにさまざまなサービス付きの住宅が提供されていて、選択肢が広がった、という説明を二人は不安そうに聞いていた。

「何か、健康面で心配なことがあるんですか?」

 心配そうに聞く理香に、信一郎の母は笑って首を横に振る。「サ高住」は、「自立型」と「介護型」という2パターンがあり、「自立型」は、今は必要ないが、必要になれば、提携しているデイサービスなど、外部の介護サービスを利用できるシステムになっているのだ、と説明され、二人はほっと安堵のため息をついた。

 2011年に改訂された、「高齢者住まい法」という法律のもと、介護が不要な高齢者向けの住環境を整えるため、さまざまなサービスが広がったのだそうだ。

主な高齢者向け住宅の住宅サービスの違い

名称 特長 入居条件
介護老人福祉施設(特養) 要介護高齢者の生活を支援する施設。 要介護1~5
介護老人保健施設(老健) 特養より高度な医療的支援が必要な高齢者がリハビリをして在宅復帰を目指す施設。 要介護1~5
介護医療院 要介護者の長期療養と生活のための施設。 要介護1~5
養護老人ホーム 環境上または経済的理由で困窮している、自立可能な高齢者のための施設。 65歳以上で、事情があり自宅で暮らすのが難しい高齢者。
軽費老人ホーム 生活環境や経済状況により家族の援助を受けられず、生活に不安を抱えた60歳以上の方が、自治体の助成を受け低額で利用できる施設。 60歳以上。自治体ごとに異なるが総収入が月35万円以下などの所得制限あり。
サービス付き高齢者向け住宅(サ高住) 自立型:安否確認や必要な外部サービスを利用できる施設。 本人もしくは同居人が、60歳以上の自立可能な高齢者、または年齢60歳未満で要介護認定を受けている方。
介護型:生活に介護が必要な高齢者3人に対して1人の介護職員など介護スタッフが配置される施設。
認知症高齢者グループホーム 認知症高齢者の共同生活を供与する施設。 要支援2~5の同自額に住民票がある方。認知症の診断結果が必要。
各種資料をもとにトウシル編集部が作成

「それって夫婦で入居できるんだ…。賃貸だけど毎月払えるの?」

「年金と資産で生活していける範囲内で、今探しているところだよ」

 この家も売るか、貸すことになる。そうなるとそれなりに蓄えはできる。心配しなくていい。そう続けた信一郎の両親は、まだ不安そうな理香の顔を見た。

「賃貸料を考えると、少し郊外に転居する可能性もあるけれど、たまには会えるくらいの場所を選ぶつもりだから、決まったらぜひ遊びに来てね」

 仲良しの義母にそういわれ、理香の顔が少し和らいだ。新居に引っ越してから、会う機会が減ってしまったため、安否確認に関しては少し心配もしていた信一郎も、説明を聞いてふぅ、と息を吐いた。

―――

「いろんな選択肢があるんだな…」

 帰路、カフェに寄り道した夫婦は、しみじみと向かい合う。

「お義父さん、この間、免許も返納したんでしょ?」

「うん。まだ判断力があるのにどうして?って聞いたら、判断力があるうちに返納するんだよって言われて、めちゃくちゃ納得した」

「スゴイ…。そんな風に、人生や暮らしをダウンサイジングしていくことも必要よね」

 グラスについたしずくを指でなぞりながら、理香が言う。

「少し早いけど、健と美咲が巣立った後、どんなふうに暮らしたい?」

 という理香の問いに、信一郎は腕組みをして考え込んだ。

「うーん…。健康状況にもよるけど、住宅も支出もコンパクトに押さえて、楽しいことにお金と時間を使いたいかな…」

「そうよね」

 食べ盛りの健と、育ち盛りの美咲にかかる、学費、食費、被服費、雑費などの支出はこれからぐんぐん膨らんでいくだろう。膨張するピークはやはり健が大学生になる5年後頃に始まるはずだ。

「今後10年くらいは、使うべきお金と、使わないお金を、しっかり考えてやりくりしていこう」

「そうね。それに私、思いついたことがあるの」

 理香はにこりと笑って信一郎を見た。

「あんまりお金も体力もかからない、長く続けられる趣味を一つ、探そうと思ってるんだ。シンちゃんはチェスが趣味で、チェス友達もいて、頭も使うしお金もかからない、いい趣味じゃない? 老後も無理せず楽しめる趣味があるといいなって」

 いいね。と信一郎もうなずく。

 最近の信一郎は、チェス友の工藤とともに、小学生にチェスを教える教室を不定期で開いており、そこで知り合った新たな友人もでき始めた。健康寿命を延ばすためには、会社や家庭以外にも、やりがいのあるコミュニティに所属していることも重要だ、というネット上の記事を読んだのがきっかけだ。年を取っても続けられる楽しみができて、自分も最近充実している。理香にもぜひ、そうなってもらいたい。

「なんかやりたいことある?」という信一郎の問いに、理香は大きくうなずいた。

「カメラ。健が生まれたときに買った一眼レフ、全然使ってないじゃない? あちこち歩いて写真撮るのって運動にもなりそうでいいかなって」

 SNSで、撮影した写真を発信するのも面白そう…と理香は目を輝かせる。

「いいんじゃない? SNSは、熱くなりすぎるといい話を聞かないから、のめりこまない程度にね」

 と信一郎はうなずいた。家に閉じこもるタイプではない理香のことだ、外に出て歩く趣味は向いていると思える。それに、Web業界に長くいる理香は、SNSとの適度な付き合い方も分かっているだろう。

「僕も時々、いっしょに出かけようかな」

「行こうよ。あちこち歩こう? 近場でも行ったことがない隠れ名所、たくさんありそうよ」

 最近の健は反抗期に突入し、親と一緒にでかけるよりも部活のサッカーが最優先だ。少し寂しいと感じてはいたが、そろそろ子離れも視野に入れて、信一郎とのこれからの時間を楽しもう、と、理香は少しワクワクしてコーヒーを飲みほした。

投資を始めてよかった!ハッピーエンドな人生を目指して<8-4>夫婦、生き方を考える