これまでのあらすじ
信一郎と理香は小学生と0歳児の子どもを持つ夫婦。第二子の長女誕生と、長男の中学進学問題で、教育費の負担が気になり始め、毎週金曜夜にマネー会議をすることになった二人。2年後、息子の健は無事、第一志望の中学に進学が決まり、家族は、新生活を送り始める…

あれから2年後、念願のマンションに見事当選し、夫婦はすでに引っ越しをすませていた。健もなんとか第一希望のA大学付属中学に合格し、部活も始めた。心配していた電車通学も無難にこなし、中学生生活にも慣れてきたようだ。
「お引っ越しされたとのことですが、社内の電子ツールで、住所変更届と通勤経路変更届をご提出ください」
総務の女性からのメールに、理香はびっくりして仕事の手を止めた。
「あ、そうか。定期代も違うもんね…」
社内の人事システムにアクセスし、まだ覚えきれていない住所を、メモを見ながら入力していく。今までの住所と比べて、マンション名が長くなったのだけが、ストレスと言えばストレスではある。
「クレジットカード会社や、銀行の住所変更は済ませたけど、iDeCo(イデコ:個人型確定拠出年金)やNISA(ニーサ:少額投資非課税制度)をやってる証券会社にも住所変更したほうがいいよね…」
ふと気づいた理香は、備忘録代わりに信一郎とのメッセージアプリに「証券会社の住所変更、忘れずに!」と打ち込んだ。
人事のサイトにアクセスしたついでに、理香は久しぶりに今月の給与明細をチェックした。
理香が勤務する会社はIT系なだけに、こうした通知は全て電子化されている。給与明細を見る頻度も、多忙に紛れて減ってしまい、毎月の残業代すらほとんどチェックできていない。住宅ローン返済が始まったのだから、引き落とし不可などの事態に陥らないよう、収支の「入ってくるほう」もちゃんと管理しなければ、と給与明細サイトを見た理香は「え?」と固まった。

「ねえシンちゃん。40歳になったら、[介護保険料]ってのが給与から天引きされてるのって、知ってた?」
その夜、夕食が済んだ後のテーブルで、理香は不満げに頬づえをついて信一郎に愚痴をこぼし始めた。
「知ってるよ。満40歳の誕生月から、会社員は介護保険料が給与から天引きされるんだ」
理香は40歳ごろは、ちょうど産休か育休取ってたタイミングだったから、気が付かなかったんじゃないの? と信一郎が返す。
「そうなのよ。私、今日、明細見て初めて知ったの。こんな項目あったかなって思って慌てて調べたんだけど、これ、死ぬまで払わなきゃいけないらしいじゃない。年金もらいながら介護保険料も払うなんて、ビックリよ」
それも、けっこうな額を天引きされていることに今日初めて気づいた理香は、鼻息も荒くスマホをタップする。
今日、驚いてネットで検索した結果、介護保険は強制加入の保険であり、一定の条件に当たらない限り、40歳になると自動的に介護保険の被保険者となること、保険料の支払いが発生すること、支払いは生涯続くこと、などを知り、つくづく自分は制度や知識に疎すぎる…と反省していたのだ。
「2000年から始まった制度だったんだけど、当時は3,000円程度だったのが、2024年の今は、月額6,000円程度が引かれちゃって、僕も、厳しいなあ…って思ってたんだ」
介護保険の対象者と制度
対象者 | 40~64歳の医療保険加入者 | 65歳以上 |
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受給要件 | 16種類の特定疾病により、要介護・要支援状態になったときに受給できる | 要介護・要支援状態になったときに受給できる |
保険料の徴収方法 | 医療保険の保険料と一括で徴収 | 市区町村が徴収 |
*健保:労使折半で給与から天引き | *原則、年金から天引き | |
*国保:納付書に従って自分で支払う | *年金が年額18万円未満の場合、納付書に従って自分で支払う | |
保険料の計算方法 | 健保:標準報酬月額×保険料率 | 基準額×保険料率 |
標準賞与額×保険料率 | ||
国保:世帯ごとに所得・資産・被保険者数に応じて算出 | ||
各種資料を基にトウシル編集部が作成 会社員の場合、介護保険料は、被保険者本人と企業が折半して支払うため、定められた金額の半額が給与から天引きされる。 保険料率は標準報酬月額によって上下するが、一例として年収400万円の場合、介護保険料は5,824円、うち半額は勤務先が負担し、残額の2,912円を自分で支払うことになり、給与から天引きされる。 |
2040年ごろには、介護保険料は、9,000円くらいまで金額が跳ね上がるっていう説もあるんだ、と信一郎に聞かされ、理香はさらにふてくされた。介護される側にならず、できれば元気で老後を迎えたい。ただそうなると「自分ばかりが保険料を払う側」にいつづけることになり、釈然としない。そうこぼすと信一郎は苦笑した。
「何言ってんの。健康が一番の財産だよ。払いっぱなし、上等じゃないか」
「そうなんだけどさぁ…」
「僕たちは、老後のために企業型DCやiDeCo(イデコ:個人型確定拠出年金)で老後の資産づくりを自分たちで始めてるだろ? 老後の備えはiDeCoに任せて、僕たちは[健康寿命]を伸ばすことを最優先すればいいんじゃないかな」
平均寿命と健康寿命の推移


「健康寿命」という言葉は理香も聞いたことがある。病気で入院したり、介護を必要としたりなど、自立して元気に生活することができない状態にならず、日常生活が制限されないで過ごせる寿命のことだ。
「そうね。支払った介護保険料の、元が取れるかどうかなんて、問題じゃないわね。私、美咲の保育園期間が終わったら、一駅先まで歩いて通勤しようかしら」
「いいね。僕も比較的、混まない駅まで、歩こうかな…」
信一郎はそう言いながら、冷蔵庫を開く。ビールに手が届きかけたが、「健康寿命」という言葉が頭をよぎり、信一郎は隣の麦茶を取り出して、理香のグラスにもお茶を入れた。
「この間のオンラインチェスで、友達の工藤さんから、iDeCoの件で、ちょっと気になる情報を仕入れたんだ」
信一郎の大学の先輩でもある工藤からは、折に触れてマネー周りの情報をもらっている。先日、オンラインチェスで一戦交えたとき、工藤から教わったことがある。
「iDeCoにも、出口戦略があるって知ってた?」
「なあに、それ?」
理香はきょとんと首をかしげた。
一括か、年金か…iDeCoの受け取り方、どっちがトク?<8-2>夫婦、人生を考える