ミシシッピ・バブルにトドメを刺したのは通貨ルーブルの暴落

 風向きが変わるきっかけとなったのは、1720年初頭、ミシシッピ会社の新株購入を断られた人物が、大量のロー・アンド・カンパニーの証券を換金したことである。これを境に、人々はミシシッピ会社株を少しずつ売り始めた。

 1720年3月の時点で、このプロジェクトに売りが集中し、株式はピーク時の1万ルーブルから翌年9月には4,000ルーブルにまで暴落した。しかし、それ以上に犠牲になったのはフランスの通貨ルーブルで、ロンドンやアムステルダムの外国為替市場ではほぼ無価値となってしまった。

 ジョン・ローは、このように通貨インフレと資産投機の奨励を組み合わせて富の効果を生み出した。現在の政策に照らし合わせれば、ジョン・ローの行動はQE(量的緩和)だ。中央銀行がQEによって貨幣量を拡大して市場を支える介入を行っていることとの類似性が際立っている。

 ルーブルの流通量が拡大したことで、パリだけでなく、地方でも物価が上昇し始めていた。物価が上昇した理由は、ルーブルがインフレによって購買力を失っていたからである。これがミシシッピ・バブルの最後のトドメとなったのである。

 ミシシッピ・バブルのピークから半年余りで株式はベア・マーケットとなり、ともに通貨が暴落した。現代の通信手段や世界的な金融バブルの規模を考えると、300年以上前のフランスで経験したものよりもインパクトは格段に大きくなるだろう。

 バブル歴史については、『狂気とバブル―なぜ人は集団になると愚行に走るのか』(チャールズ・マッケイ)を参照されたい。

『狂気とバブル―なぜ人は集団になると愚行に走るのか』チャールズ・マッケイ著(パンローリング)

出所:楽天ブックス