過渡期に起こるのは金融マーケティングの極端な強化

 何度も言わねばならないが、「究極のリブラ」の状況は急に実現するものではない。しかし、完成像がイメージされうる以上、部分部分が、徐々に実現していくことは避けられないと考えられる。

 金融ビジネスの経営者は、想像される「究極のリブラ」を鏡に見立てて、自らのビジネスの再創造と舵取りを考えていかなければならないだろう。

 さて、少し現実に近づいた近未来を想像してみよう。

 上に挙げたような金融ビジネスおよびそこに属する金融マンが、「徐々に苦しくなってきた時」に、何が起こるだろうか。

 それは「金融マーケティングの極端な強化」ではないかと、筆者は危惧している。

 具体的な会社名は挙げないが、最近のニュースを賑わせているような、保険商品や投資信託などの金融商品が不適切に販売されている事例を見ると、既存の融資や有価証券投資で十分な収益を得る事ができなくなった金融機関が、店舗や人員の維持のために、なりふり構わない様子が分かる。

 会社の単位でも、金融マン個人の単位でも、自らを養うために「背に腹は代えられない」状況に立って、手数料稼ぎに走っている。

 筆者が懸念するのは、セールスマンの過剰な頑張り(これも軽視すべきではないが)だけでなく、個人のデータが着々と集まり、その加工技術が発達する中で、金融商品のマーケティングにあって、データ利用が急激に発達することだ。

 個人は、これまで以上に正確に狙われ、巧妙に仕掛けられる金融商品のセールスに相対しなければならない。

 もちろん、金融に関する知識の強化も必要だし、高度化する金融マーケティングを大いに疑う精神的な態度をキープすることも重要だ(甚だ微力ながら、筆者は両方のお役に立ちたいと思っている)。

 読者には、将来の「究極のリブラ」が実現すべき金融ビジネスの理想像を想像し、現在の金融ビジネスや金融商品・サービスにいかに無駄が多いかを理解することと共に、「究極のリブラ」が個人に対して持つコントロール力を現在の金融ビジネスが身につけようと努力していることの恐ろしさに思いを馳せて欲しい。