1979(昭和54)年4月7日

「空白の1日」を経て江川選手が巨人軍に入団

 1979年4月7日、江川事件と呼ばれる一連の騒動の末、江川卓選手が読売巨人軍に入団しました。

 高校野球で、すぐにでもプロへ転向できる実力と目されていた江川選手は、高校時のドラフト会議では阪急ブレーブス(現在のオリックス・ブルーウェーブ)からの指名を拒否して法政大学へ入学。4年後、法大4年時のドラフト会議では、クラウンライター(現在の西武ライオンズ)に1位指名されましたがそれも拒否し、1年間、野球界のどこにも所属しない「浪人生活」を選択。野球留学するとして渡米しました。江川選手が強く読売巨人軍への入団を希望し、巨人側も1位指名の方針を固めていたため、他の球団への登録を避けるための措置でした。

  当時のドラフト会議は、ドラフト会議で交渉権を得た球団がその選手と交渉できるのは、「翌年のドラフト会議の前々日まで」、ドラフト対象者は「日本の中学・高校・大学に在学している者」と定められていました。

 巨人は、「クラウンライターは江川との交渉権を11月20日に喪失する。翌日の11月21日時点では、江川選手はどこにも所属していないドラフト対象外選手だから自由契約できる」と主張。この「空白の1日」を利用し、11月21日に急遽帰国した江川選手と入団契約を結びました。

 しかし、ドラフト協定の死角を突いた形での契約は、他球団から猛反発を受けました。翌11月22日に行なわれた3度目のドラフト会議では、阪神タイガースなど合計4球団が江川選手を1位指名。最終的には阪神が交渉権を獲得しますが、今度は巨人が江川選手の巨人軍所属を主張し、猛反発しました。

 日本野球機構の金子コミッショナーは、いったんドラフト指名権を得た阪神に江川選手を入団させ、その後すぐに巨人にトレードする、という流れで騒動を収め、江川選手は開幕日の4月7日に巨人に移籍しました。

 さまざまな騒動の後、選手生活をスタートさせた江川選手は、その後、日本プロ野球史上6人目の投手五冠王に輝くなどの実績を残し、1980年代を代表するエースとして活躍しました。

1979年4月7日の日経平均株価終値は

6,065円90銭

ライター FIX JAPAN 前沢ともあき