1972(昭和47)年7月24日

四日市公害訴訟で住民側勝訴の判決

 1972年7月24日、大気汚染の発生源として、四日市市にある石油化学コンビナート6社を相手に、三重県四日市市の四日市ぜんそく患者9人が訴えていた裁判で、津地裁四日市支部が住民側勝訴の判決を下しました。

 高度経済成長期の1960年から1972年にかけて発生した大気汚染は、多くの四日市ぜんそく患者を生みました。

 四日市ぜんそくは、水俣病などと並ぶ四大公害病の一つで、大気汚染の原因は工場の煙突から吐き出される硫黄酸化物です。当時の日本は国策として重化学工業化を急いでおり、石油精製工場や化学工場から出る大量の煙が気管や肺を傷め、激しいぜんそくの発作を引き起こしました。その激しい症状から多くの死者も出て、経済発展の代償と呼ぶにはあまりに大きな犠牲でした。

 この四日市ぜんそく訴訟の住民側勝訴を機に、政府や企業も大気汚染対策に本腰を入れるようになりました。硫黄分の少ない原油に切り替えるとともに、脱硫装置の開発も急速に進みました。

 

1972年7月24日の日経平均株価終値は

3,815円31銭